3/12/2015

NYFWの厳しい批評

FW2015のファッションショウも、パリが間もなく終わりを迎え、一通り終了するところ。

その中で、少し前の記事になるけれど、今回のニューヨーク ファッション ウィークについて、厳しい批評が載っていた。


"New York Fashion Weak" - The Business of Fashion

全体的にかなり辛口の批評になっている。まとめると、
1. クレイジーな程、多くのショウが行われ過ぎている。スケジューリングの改正が必要。
2. "commercial" (商業的) 過ぎて、"surprising" (驚く) "innovative" (革新的) な部分がない。
3. デザイナーより、そのスタイリングを担当するスタイリストの手がよく見えてしまっている。

その他にもかなりharshな表現が。

例えば、
"New York is so pragmatic, it sometimes makes you yawn."
 「ニューヨークは実用主義的で、時にあくびが出るほど退屈である。」
"It is honestly impossible to hold lasting memories of what you saw. Shows keep slipping by."
 「ショウはひたすら進んでそして過ぎ去り、記憶に残るものはほとんどない。」
"a sign of laziness"
 「怠惰の兆候」

2の、革新性が欠けていることに加えて、更に大きく論じられている内容としては、多くのニューヨーク デザイナーは、Célineといった業界を牽引するブランドのムードを引き継ぐ傾向が(世界中であるが、) 特に顕著であるということ。

以下の内容はとても皮肉だと感じた。

"America, so the saying goes, is the place where everything gets bigger. Another cliché admittedly, but, also, a heightened form of truth. It surely is for fashion; New York’s ever-expanding fashion week lacks genuine design innovation, which does not mean avant-garde fashion, but finding a visual language that is rooted in the moment."

アメリカという国は、何事も大きくなる国であり、ファッションウィークは拡大の一途をたどっている。本来のものが誇張されている状態。しかし、それ故か、アヴァンギャルドに限らずとも、その一瞬にヴィジュアル ランゲージとして根付く、真のデザイン イノベーションを欠いている、と。

そんな酷評の中でも、Marc Jacobs, Proenza Schouler, Alexander Wangなどといった、いくつかのデザイナーはいい評価を受けていた。

ニューヨーク ファション ウィークがごちゃごちゃしてしまっているのも、それだけのデザイナーが多い故。そしてチャンスが多いということでもある。ただ、その中で秀逸なショウはかなり限られているとすると、単純に無駄が多いということになる。確かにそれは否めない気がする。

ただ、実用主義が目立つというのは、ニューヨークの持つ個性なのだとも思う。ニューヨークはやはりニューヨーク。元々革新的なデザイナーはよりは、実用主義のもと表現力の高いデザイナーが成功する街なのではないかな。パリのようなクチュリエ、ミラノのようなアルティザン、ロンドンや東京のようなアヴァンギャルドの街ではない、ファッション ビジネスの街。

この秋にはメインの会場はリンカーンセンターから移り、また大きく変化するであろうNYFW 厳しい批評はあれど、拡大に歯止めはなかなかかからない気がする。


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