11/10/2015

スターバックスのホリデーカップ

スターバックスの今年のホリデーシーズンのカップが大きな話題になっている。

今年のカップは、クリスマスを象徴するスノウフレーク舞うツリーやオーナメントといったモチーフを使用せず、無地のクランベリー レッドと呼ばれる真っ赤なカップに。


Welcome back, red cups!
Posted by Starbucks on Sunday, 1 November 2015


これが、スターバックスはキリスト教を切り捨てた、とソーシャルメディアで吠えたクリスチャンの男性のビデオが発端で、物議を醸している。

"Starbucks Red Holiday Cups Inspire Outcry Online"
http://www.nytimes.com/2015/11/10/business/starbuckss-red-holiday-cups-inspire-outcry-online.html?_r=0 

スターバックスは、今年のカップのデザインは、受け取った人たちがそれぞれお絵描きを楽しめるようシンプルにしていると発表しているが、それでは治まらない論議がアメリカ中で繰り広げられている。以前に比べクリスマス感のないカップへの対抗として、(アメリカのスターバックスでは会計の際自分の名前を伝えて、自分のオーダーをとり違いなく受け取れるようカップにそれを書いてもらうのだが、)オーダーの際にカップに"Merry Christmas"と書いてもらう客が多くいるようだ。

courtesy of Starbucks

更にそこから発して、この一件について騒いでいる人々に対して、「たかがそんなことで」「なんてばかばかしい騒動だ」といった態度で#ItsJustACup とハッシュタグをたてている人も多くいる。これらのハッシュタグは、「世の中にはもっと重要な問題を抱えている人が山のようにいるのに」と訴え、ホームレスやシリアの難民の問題などを言及するにまで発展している。「どんなカップであれ、スターバックスで毎朝コーヒーを買える時点であなたたちは充分恵まれているのだから」と。

ニューヨークという多くの宗教や文化が溢れる街にいると感じにくいが、やはりアメリカ全体はクリスチャンが多く存在し、彼らにとってクリスマスを迎える前のこの時期の大切さはこういった騒動に至るほど大きな意味を持つことをまず感じさせられる。

そしてその一方で、アメリカだけでなく世界中で愛されるブランドであるスターバックスがとった今回の動きは、同様に大きな意味を持つ。

例えば、ニューヨークにいて、クリスマス前の挨拶として、"Happy Christmas!"ではなく、"Happy Holidays!"という文句をよく聞く。誰もがクリスチャンではなく、誰しもにとってクリスマスが真におめでたいわけではないからだ。Holidayという言葉をつかうことで、宗教に関わらず年末にかけてのフェスティブな時期を皆が心地よく過ごすことができる。

同様に、企業がキリスト教であるかどうかを明らかに示してしまうことは、現代のグローバル企業にとってあまり賢い選択ではないと考えられる。例えばこの時期のセールも、Christmasという言葉を使わずHoliday Promotionと言われることが多い。故に、スターバックスが今回"Happy Christmas!"なカップから"Happy Holidays!"なカップにシフトしたのは、非常に前向きなことのように私には見えるのだが・・・納得のいかないクリスチャン達がたくさんいるようだ。

アメリカという国はやはりどれだけ多様性を増しても、やはりクリスチャンな国でありそれが全体を大きく支配するものなのか?例えば、アメリカの歴代大統領にクリスチャンではなかった例はいくつかあるが、現職であるオバマ大統領は、スピーチにおいて信仰を含めたりAmazing Graceを歌ったこともニュースになった。アメリカ市民権を持つ非キリスト教徒にとって、それは一体どういった感覚なのだろうかと考えさせられる。

しばらくは落ち着かなそうなこの騒動。この一件自体は、大きくなり過ぎてさすがに呆れるほどだが、やはり日本では感じにくい、アメリカにおける宗教や文化が持つ重要性とその裏側にある人々の強い意思を感じる、とてもこの国らしいトピックだと感じる。


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